「鹿渡島」「鵜浦」の地名の由来

 鹿渡島定置は七尾市鵜浦町にあります。
 よく、大学時代の知り合いと話をすると、「鹿渡島の地名の由来は?」と聞かれます。
 地元の老人たちに聞くと「イノシシが能登島に渡っていくから」と言われましたが、いまいち腑に落ちなかったので自分なりに調べてみました。
 鹿渡島に、「観音島」という島があります。島と言っても地続きなのですが、海に突き出た奇妙な場所です。地元住民にすら顧みられることの少ない場所ですが、年代物と思える椨(タブノキ)があり、そしてここには文字通り観音様が祀ってあります。
 そして、毎年12月に氣多大社で「鵜祭」という神事があります。この鹿渡島で捕らえた鵜を氣多大社まで運び、その鵜を使って1年の吉凶を占うという奇祭です。一説には1,300年以上前から続いているという言い伝えもある由緒正しい神事です。

 氣多大社にまつわる古文書によると、その祭の起源はこうあります。

 氣多大社の祭神である大己貴命能登の地に来たときに、「新(神)門島」におりたった。鹿渡島の御門主比古が大己貴命に鵜を献上し、それが鵜祭の起源である。

 新(神)門島が転じて「観音島」になった、というのは比較的納得がいきますし、さらに神が渡ってきた土地として、「鹿(神)渡島」という地名が付いた、というのも腑に落ちます。そして、鵜祭の発祥地として「鵜浦」という地名が付いたのではないでしょうか。
 また、鵜浦町にはその鵜を献上した御門主比古を祀った御門主比古神社があり、延喜式に記述のある由緒正しい神社です。そして御門主比古神社には「鵜神」が同時に祀ってあり、その歴史を感じさせてくれます。

 この地名に関わる疑問は、今後も注意深く調べていきたいと思います。鵜浦の隣の湯川には湯川神社があり、かなり古い椨の森があるので、それなりの格式と歴史があるはずです。湯川神社についてもじきに調べてみたいと思います。